越前若狭歴史回廊  分館
   
若狭武田氏年表(その3)
 
永正5 6.8 足利義尹が細川高国、大内義興らとともに入京、7月将軍復帰、武田氏義尹政権支持
12.- 神宮寺が若狭武田氏の祈願所となる
永正6 6.17 阿波守護代三好之長が前将軍義澄とともに兵を挙げる、若狭守護武田元信義尹政権支援のため出兵
永正8 2. 2 武田元信が三条西実隆に「新三十六人歌合」の書写を依頼
5.18 武田元信が三条西実隆から「狭衣物語」を借用.
8.14 前将軍足利義澄病没
8.16 前将軍足利義澄派の細川政賢ら将軍足利義尹らを攻撃、義尹京没落
8.23 将軍足利義尹が大内義興、細川高国らとともに船岡山の義澄派を攻撃し京都奪還、若狭守護武田信親義尹に従軍
永正11 8.22 武田信親が死去
永正12 10.- 小浜武田元信邸で連歌会、連歌師宗長が参加
-.- この年武田氏京都雑掌寺井賢仲死去
永正14 5.- 丹後の内紛で若狭守護武田氏と近江朽木氏が幕命で一色氏を支援
6.2 丹後国守護代延永春信の軍が若狭に侵入、幕府、越前守護朝倉孝景に武田氏支援、若狭・丹後に出兵を命ず、敦賀郡司の教景(宗滴)出陣する、丹後軍へ反撃
6.19 武田氏丹後出陣で祈願所の遠敷郡明通寺にも陣僧1人の派遣を求める.
8.2 武田氏支援の朝倉軍丹後倉橋城を攻撃し落とす
9.22 武田氏丹後竹野郡堤篭屋城を攻撃.
10.11 武田氏丹後竹野郡吉沢城で合戦.、武田氏丹後加佐郡を領有
10.28 有田合戦で安芸武田の武田元繁敗死
永正16 12.20 若狭守護武田元信落飾し入道紹壮と号す、元光守護職継承
11.- 冬、若狭守護武田元光、管令細川高国とともに細川澄元と対戦
永正17 4.16 三条西実隆が武田氏臣粟屋元泰の求めで「源氏物語」の奥歌を書き,また「源氏物語系図」を 送る
-.- この年武田氏臣畑田左馬允が和歌の批評を三条西実隆に求める
大永元 3.7 将軍足利義稙(義尹)が管令細川高国と不和で出京
4.18 管令細川高国、若狭守護武田元光とはかり、前将軍義澄の子亀王丸(後の義晴)の将軍擁立を謀る
10.4 武田元信禁裏北門の修理費5千疋献上
10.10 武田元信従三位に上階
10.12 武田元光、幕府および細川高国邸で猿楽能を張行する
11.19 武田元光若狭に下る
12.3 元若狭守護武田元信没(67才)
12.25 管令細川高国、若狭守護武田元光に擁立された亀王丸が元服(足利義晴)第12代将軍となる
-.- 武田元光、発心寺創建(小浜市伏原)
大永2 3.2 三条西実隆が13日の武田元信百日忌のために,武田元光に法華経寿量品を贈る
-.- この年、若狭守護武田元光、後瀬山城を築城
大永3 8.- 小浜代官粟屋元隆が三条西実隆の依頼で越後青苧船を小浜津に留置し、本所への上納金を要求.
大永5 9.25 幕府が近江朽木氏に対し武田元光に従い丹後に出兵すべきことを命じる
大永6 10.28 細川高国が武田元光に丹波出兵、上洛を要請
12.29 武田元光、細川高国の要請で兵を率いて上洛
大永7 1.- 幕府、丹波攻略と摂津への進撃を決定、若狭守護武田元光参陣し丹波を攻撃すも失敗
2.13 若狭守護武田元光等若狭軍、将軍義晴・細川高国方として京西七条桂川の決戦で反細川高国派・丹波柳本勢に大敗す(川勝寺合戦)
3.- 京での敗戦で丹後の海賊が若狭浦へ来襲
10.13 足利義晴京都奪還に向けて近江から出陣、越前朝倉教景(宗滴)、若狭守護武田元光、近江守護六角左頼、能登畠山氏、美濃斎藤氏が従う
11.3 武田氏配下の粟屋勝春兵を率いて将軍義晴支援のため入京す
享禄元 1.15 京都で将軍義晴派(前管令細川高国、武田氏、六角氏)と細川晴元派(阿波三好氏他)が抗争
9.6 武田元光,小浜公用6か月分を朝廷に納入する
-.- この年、若狭守護武田元光と粟屋元隆不和となる
亨禄2 12.28 若狭守護武田元光、若狭神宮寺を位牌所とす
享禄3 -.- 秋守護武田氏が内裏進懈怠段銭として遠敷郡今富の寺社・百姓に段銭を賦課
享禄4  8. 6 武田氏重臣の粟屋元隆,子孫繁栄・武運延洪を遠敷郡名田荘長田寺に祈願.
10.4 若狭3郡の百姓代表が小浜塩浜で守護武田氏に徳政を要求
天文元 3.21 武田元光が遠敷郡正照院を若狭の真言根本の寺と定め寺法を制定
-.- 武田信豊が正照院(万徳寺、遠敷郡)を若狭真言宗の「本寺」とし、寺法を制定
-.- この年ごろから、若狭武田氏の重臣で小浜代官の粟屋元隆、武田信孝と気脈を通じる(後に謀反を引き起こす 、背景には元光から信豊への家督相続への不満があった)
-.- 秋ごろ武田元光の兄潤甫周玉が三方郡に出奔、遠敷郡矢田部の雲外寺に移る.
天文2 8.21 将軍足利義晴、若狭守護武田元光に上洛を命ず
12.14 小浜代官粟屋元隆が遠敷郡長源寺に禁制を発する
天文4 10. 1 武田氏、丹後田辺を攻める
天文5 5.22 武田氏、丹後田辺城を攻略する
7. 2 天文法華の乱で.将軍義晴が京に警護兵の派遣を朝倉氏、武田元光に命じる
8.25 遠敷郡神宮寺が延暦寺の要請で京天文法華の乱に出陣
天文7 2.27 武田氏の重臣で小浜代官の粟屋元隆、武田信孝を盟主に反旗を翻し丹後に出奔
6.14 武田氏の重臣逸見氏も反旗を翻し、粟屋元隆と強力し、小浜を窺う
7.17 粟屋元隆の反乱鎮圧のため武田信豊出兵、27日には名田庄を攻撃、
7.27 粟屋元隆は遠敷郡名田荘より逃亡し丹後へ没落
9.8 粟屋元隆が丹波に赴き細川晴元家臣の支援を得て若狭への乱入をもくろむ
9.2 将軍足利義晴、家臣の反乱に揺れる若狭への侵攻を目論む武田信孝(朝倉氏の下に「亡命」中)の制止を孝景に命ず
9.29 武田信豊,若狭に侵入しようとする越前勢の背後をおびやかすため,本願寺証如に加賀勢の越前侵入を依頼
11.15 武田軍丹後加佐郡水真村で合戦
-.- 若狭守護武田元光、家督を子の信豊に譲る
天文8 8.8 武田元光が病気養生のため鞍馬に赴く
12.12 武田信豊が従五位下・伊豆守に叙される
天文9 6.1 武田信豊,遠敷郡羽賀寺を祈願所とし,寺領・竹原天満宮供僧職・年貢収納などを保証
6.- 羽賀寺が若狭武田氏の祈願所となる
8.- 武田信豊が代替りにともなう段銭を賦課
9.23 朝倉景高(孝景弟)排斥事件起きる、景高は若狭武田氏を頼る
天文11 3.17 若狭守護武田信豊、将軍義晴支援のため河内へ出陣し三好長慶と戦い惨敗(河内大平寺合戦)
天文12 4.11 朝倉景高(孝景弟)が若狭、さらに本願寺を退去し西国へ没落
天文13 12.7 武田信豊、正照院(万徳寺、遠敷郡)を祈願所とし、駆込み寺の特権を認める
天文16 3.8 遠敷郡妙光寺が武田信豊より臨時課役免除や寄進・買得地の安堵を受ける
   
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その4へ続く

   


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