越前若狭歴史回廊  分館
   
若狭武田氏年表(その2)
 
文明7 1. 6 武田国信、飛鳥井邸での歌会始めに参加する
文明9 1.18 京で若狭武田氏と赤松氏が被官の喧嘩がもとで紛争
3.- 武田国信、山科郷民との間で紛擾.
4.13 京の武田邸馬場で犬追物が行われる
5.29 京の武田邸で武田信賢七年忌追善の品経歌披講が行われる
8.- 歌僧正広、武田邸十五夜の歌会に列す.
11.- 応仁・文明の乱おわる
文明10 7. 7 武田国信が京で犬追物を催す
12.17 武田国信が若狭に下国(湯治)
文明12 3.- 武田国信が飛鳥井雅親を若狭に招く
文明15 5.16 京の武田邸馬場で犬追物が行われる
-.- この年、武田信親(国信嫡男)、栖雲寺(臨済宗)創建(再興)
文明17 8.22 武田信親没(栖雲寺殿)
文明18 8.28 朝廷が禁裏料所小浜の支配について、一色義直に代わり若狭守護武田国信に命ず、義直は警戒して丹後に下国
長亨元 9.12 将軍足利義尚近江坂本に出陣下向、若狭からは本郷政泰、武田国信従軍
9.21 将軍六角討伐従軍の若狭武田軍他幕府軍が六角支配下に進攻、24日八幡山を攻撃し落城させる
11.28 近江に着陣中の若狭武田氏が飛鳥井雅康を招き連歌会開催
延徳2 6.21 武田国信死去、元信(信親弟)守護職を継ぐ
延徳3 4.2 武田元信、飛鳥井雅俊の蹴鞠会に参加
8.25 将軍足利義材近江出陣、若狭守護武田元信、武衛斯波義寛など守護大名従軍
明応元 3.27 六角討伐のため出陣中の若狭武田氏湖東に陣を進めが、29日近江愛知河原の合戦では被官逸見氏は傍観し動かず
9. 4 六角討伐のため草津に在陣の若狭武田軍の逸見氏と粟屋氏が紛擾で双方に死者、負傷者でる
9. 8 若狭武田氏被官と青地氏(佐々木六角被官青木城主)が近江で争いとなる、武田氏被官に死傷者がでる
明応2 2.25 将軍足利義材畠山基家追討のため河内へ出陣、畠山政長、武衛斯波義寛や武田元信等守護大名従軍
4.22 管領細川政元がクーデターで将軍足利義材を廃す(明応の政変)
4.25 細川政元の反旗に追随し、若狭守護武田元信や斯波義寛等諸将が軍を堺へ引く(将軍義材、畠山政長孤立)、26日政長自刃
明応5 6.16 京の出雲路相国寺東門辺で若狭武田氏被官と賀茂地下人が田堺について争いとなる
明応6 9.- 京に土一揆蜂起、若狭守護武田元信禁裏警護につく
明応7 8.19 越中在住の前将軍足利義材、北陸の守護大名に京都奪還の支援を要請
明応8 7.- この年7月以降前将軍足利義材の入京問題で京キ騒擾
文亀元 5.25 若狭武田氏被官粟屋親栄、京で三条西実隆宅を初めて訪問、交流がはじまる
文亀2 6.2 若狭の国人、圧政に耐えかね蜂起し武田館を攻撃、武田中務大輔・同子弥五郎討死
9. 9 武田元信、将軍相伴衆となる
-.- この年武田元信が仏国寺を創建する(小浜伏原)
永正元 12.- 武田元信若狭へ下国
永正3 4.22 管令細川政元とともに、若狭武田氏丹後侵攻準備、元信が中山寺で戦勝祈願
7. - 若狭武田氏丹後侵攻にかかり、28日被官粟屋親栄由良川を越える
8.3 若狭武田氏兵と一色兵が丹後でが戦闘、武田方敗れる
9.24 若狭武田軍細川澄之の合力で丹後一色兵を攻撃、これを破る(如願寺の戦い)
永正4 4.27 管令細川政元、若狭武田氏支援、一色義有攻撃のため突然丹後戦線に下る
5.11 若狭武田氏、丹後一色軍と戦闘、破れる(阿弥陀ヶ峰城攻防戦)
5.25 管令細川政元丹後戦線離脱し上洛
6.23 管令細川政元暗殺される
6.25 管令細川政元暗殺の報が丹後戦線に届き、細川・若狭武田軍総崩れとなる、27日粟屋親栄戦死
   
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その3へ続く

 

   


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