越前若狭歴史回廊  分館
   
武田氏居館跡 (福井県小浜市男山)
若狭守護武田氏の居館跡発掘!
 

*この記事に内容は2006年現在のものです。発掘調査はその後も継続し、現在小学校は移転しています。

 若狭守護武田元光が標高168mの後瀬山に城を築いたのは、大永二年(1522)とされているが、これに伴い守護館も西津から後瀬山城の山麓に移した。
 現在の空印寺と小浜小学校の敷地がそれである。
 もともとこの地には長源寺があったが、これを移し、東西110m、南北120mの守護館を築いたとされる。明治初期にはまだ、濠跡が明瞭に残っていたといわれ明治初期の地形図にもその痕跡を見ることができ る。
 山裾北側を通る丹後街道を押さえる位置にある。
 
 その館跡の初めての発掘調査が市当局によって行われ、濠跡が発掘されている。
 発掘場所は小浜小学校の校庭で、生徒の活動の邪魔にならないよう、端のごく限られた部分で行われている。
 学校の校庭敷地という性格上やむを得ないとはいえ、少々もの足りない気がする。
 
 今回の発掘は2ヶ所で、それぞれ武田氏時代の濠の跡が確認されている。石垣も一部発掘されているが、これは何か不明である。空印寺創建当時のものかも知れない。
 空印寺と小浜小学校との堺に武田氏時代の土塁跡が残されており、そこから外側に石垣があり、さらにその外に濠跡がある。
 濠跡からは室町時代の素焼き皿や椀が発掘されており、濠が武田氏時代のものであることは間違いないようだ。
 ただ、そうすると、土塁と濠の間が数m離れていることになり、この空間が何を意味するのか、いまのところ不明としかいいようがない。
 なお濠の幅は大体4.5mである。 

   

 
 古老の話では、かつて小学校の門の前付近には幅5mの濠があったとされており、今回の発掘と大体一致する幅である。濠と土塁に囲まれた典型的な居館跡が偲ばれる。
 
 個人的な感想だが、土塁と濠の数mの区間は西側のみで、東側や北側には無かったのではなかろうか。北側はスペース的に無理があり、東側にはその必要もなく、西側にのみ特別な防御設備が置かれていたのではなかろうか。
 
 今回の発掘で若狭武田氏の居館跡の遺構が初めて確認されたわけで、今後の発掘調査に期待したいところだ。

Copyright (c) 2006 H.Okuyama. All rights reserved.
撮影2006年12月 

 

   


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