発心寺 (ほつしんじ 小浜市伏原)
武田元光墓所 後瀬山の東側山裾にある曹洞宗の寺院。
大永元年(1521)、若狭守護武田元光によって創建された。開山は臥竜院七世の弟子の中巖宗恕である。
元光は若狭守護武田元信の次男で、父元信の出家後永正十六年(1519)家督を繼承した。
この時期、若狭武田氏は、守護大名から戦国大名への転化の時期であり、発心寺とあわせて後瀬山城も築城し、拠点を京から領国に移している。寺の北・東側は巨大な石垣で囲われ、後瀬山城北東の要害的役割を 果したと考えられる。
なお、周辺は元光別業の地といわれ、出家後の晩年この地に居住して別所殿様と称された。
武田氏が衰退した永禄年中に、一時無住となって荒廃したとされるが、元和二年(1616)小浜藩主京極忠高の帰依する三方臥竜院の天厳が再建したとされる。
京極氏から代わった酒井氏も同寺を保護し、近世には禅道場として栄え、多くの雲水が修行したと伝えられている。
境内には元光が一枝を手折って後相原天皇に献じたと伝える綸旨の梅があり、同天皇の
「待つ人の手折の梅は若狭なる後瀬の花の色し古計礼波」
の歌碑が設置されている。
発心寺には、市指定文化財となっている犬追物の元光画像の他、裏山には元光の墓(宝篋印塔)が残っている。江戸期の国学者伴信友、明治の歌人山川登美子の墓もある。
現在も発心寺は青い目の修行僧で有名で、修行僧の雪中の寒修行は冬の風物詩となっている。 |