永亨12 |
5.15 |
武田信栄、将軍義教の命により若狭守護一色義範(義貫)を大和で討
ち、その功により若狭守護(若狭武田初代)となる |
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6.29 |
若狭守護武田信栄若狭国へ下向 |
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7.23 |
若狭守護武田信栄没(28才)、弟信賢若狭守護(若狭武田2代)となる |
嘉吉元 |
6.24 |
将軍義教赤松満祐に殺害される(嘉吉の変) |
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7.- |
赤松氏追討軍京を出発、若狭守護武田信賢3,000余を率い出陣 |
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8.24 |
赤松氏追討軍の若狭守護武田軍、播磨蟹坂で赤松軍と激闘 |
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10.22 |
武田軍大飯郡佐分利で一色義貫の牢人・一揆軍と合戦、反撃に転ず |
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11.11 |
武田軍、旧守護一色残党と農民の連合軍を破る、小浜奪還(12日まで) |
文安元 |
7.19 |
若狭守護武田信賢国内の寺社本所領の代官職を全て守護方に替える |
享徳1 |
閏8.26 |
若狭守護武田氏、遠敷郡太良荘助国名主泉大夫を徳政一揆の加担者として処刑 |
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9.- |
太良荘領主東寺、武田氏が守護不入の命令に背いて荘民を処刑、荘への乱入を幕府に訴え |
康正1 |
7.27 |
若狭守護武田信賢が若狭に下向する |
長禄1 |
10. 8 |
守護武田信賢、将軍御教書に従い等持院領三方郡倉見荘を諸役免除の守護使不入の地とする |
長禄3 |
4. 4 |
大飯郡立石荘の11の名を嘉吉2年より守護武田氏が半済として押領していると京都東山香林寺が幕府に訴える. |
寛正2 |
4.21 |
丹後・若狭の船荷物の件で、若狭守護武田氏と丹波守護一色氏幕府政所で争論 |
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8. 6 |
三方郡倉見荘における守護武田氏の違乱を、京都等持院が幕府に訴える |
寛正3 |
10.25 |
武田信賢、京都相国寺付近で土一揆への警固を行う |
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12.15 |
武田信賢、遠敷郡明通寺を祈願所とする |
寛正4 |
4.21 |
小浜入港船の積荷で、武田被官と一色義直被官の小浜住人が相論 |
文正1 |
11.13 |
若狭牢人蜂起につき、将軍義政、国内の荘園に対し守護武田氏に合力せよとの命令を下す |
応仁元 |
1.18 |
応仁の乱前哨戦、上御霊社の戦い |
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5.23 |
東軍の若狭守護武田信賢が実相院を襲撃し陣所とする、引続き一色義直邸を攻撃し落とす |
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5.26 |
応仁の乱の戦端が開かれる。若狭守護武田信賢は東軍に、朝倉孝景は
幕府管領で西軍斯波義廉の被官として参戦、武田氏は
大手攻撃軍として西軍と激突、斯波義廉は細川勝久に攻撃をかける |
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6.14 |
管領(越前守護)斯波義廉の館(武衛陣)を東軍が攻撃、攻撃の若狭武田氏と防衛の朝倉孝景が二条で激戦
、朝倉孝景、東軍の若狭守護武田氏勢を京都二条で破る |
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7.11 |
西軍派の管領斯波義廉邸(武衛陣)を東軍が攻撃、若狭武田信賢攻撃に加わる、朝倉氏必死で防衛に努める、東軍斯波邸を包囲 |
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7.25 |
再び西軍派の斯波義廉の館(武衛陣)を東軍が攻撃、若狭武田氏と朝倉孝景が対戦 |
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9. 1 |
西軍が東軍武田氏が守る三宝院を攻撃 |
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10. 3 |
西軍、東軍を室町第(将軍御所)隣接の相国寺に攻め敗走させる、西軍朝倉孝景奮戦、東軍の武田国信は相国寺退去、東軍追込まれる |
応仁2 |
2.- |
武田信賢が若狭に城郭を築くという |
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3.17 |
戦局打開に向け東軍武田信賢が北大路烏丸の西軍大内正弘を攻撃 |
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5.- |
若狭武田氏、遠敷郡明通寺への陣僧催促を停止する |
文明元 |
4. 1 |
幕府、西軍の一色義直の丹後守護職を剥奪し若狭武田氏に与える(一部は細川政国の所領となる)
、武田信賢の部将逸見・温科氏ら、細川持賢の家臣天竺孫四郎とともに丹後に討ち入る |
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5.- |
若狭守護武田信賢、京と若狭の通行確保のため北白川に城郭を築く |
文明2 |
7.13 |
若狭守護武田信賢如意ヶ嶽に陣取る |
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7.19 |
山科の若狭守護武田氏の陣が西軍大内正弘の軍に攻められ、重臣逸見繁経討死 |
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12.18 |
武田氏家臣の逸見宗見、遠敷郡玉置荘一分方代官職を競望する |
文明3 |
6. 2 |
若狭守護武田信賢没(52才)、弟国信跡を嗣ぐ(若狭武田3代) |
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6.25 |
幕府、東軍に寝返った朝倉孝景の支援を近江朽木氏、若狭武田氏に命ず |
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-.- |
この年武田国信(宗勲)、禅僧の雪嶺永瑾から「一代風流の老将」と称えられる |
文明6 |
4. 3 |
応仁の乱の細川政元と山名政豊が和睦、若狭守護武田信賢も署名 |
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5. 7 |
応仁の乱和睦のため若狭守護武田国信、丹後守護職を剥奪され元の守護一色氏に与えられる |
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9.15 |
若狭守護武田国信の丹後支配失敗に終わる、武田氏重臣逸見宗見(真正)丹後上山田城で自刃 |